NPO法人ぽたらか・ぽたらか日記

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◇名物男だまた一人亡くなった。 2017/3/4(土)

meibutuotoko  彼の愉快なエピソードは底を尽きることがない。

 普通に丼でご飯を食べながら道を歩いていたとか、ホームレスのおばあさんを拾ってきて泊めてあげたーまではいい んだけど、弱ったおばあさんを1キロも歩かせて、その晩おばあさんは急死した。
「なんでも拾ってくるのはいいけれど、おばあさんは拾ってくるな!」と、私は叱った。

 ハウスクリーニングを頼まれて、張り切って自腹でタオルを50枚と洗剤を買ってきて、持ってきたタオルを洗って 絞って用意すること1時間。
その家の雑巾を使って掃除して、最後に使ってもない持参のタオルを洗ってしまう事1時間。
結局、正味の掃除は20分。
それでいて、彼がくると家族中腹の底から笑える。
今の世にこんなことはない、また来て、とリピーターが絶えなかった。

 また、彼は遅発性統合失調症のおばあさんを手なずけるのが見事だった。
全く話を合わせようとしない。
どんな強者でも、自分の世界にいつの間にか引きずり込んでいる。
精神医学を学んだわけでもない。
彼でなければ手に負えないおばあさんがどれだけいたことか。
これからどうなるのだろう。

 3月3日午後7時、癌による多臓器不全で死去。
享年70歳。
ホームレス歴30年。
職業ホームヘルパー。
もう少しで花見会だったのに、残念。



◇謹賀新年!! 2017/1/4(水)

 大晦日に豚しゃぶをした!じいちゃんたち、生肉を取り分けるとそのまま口に持っていこうとするので、結局しゃぶ しゃぶして各自皿に入れてやる。
鍋を囲む意味がないが、何気にみんなうきうきしている。

 こんなぽたらかだが、マスコミが貧困ビジネスだと決めつけてくれるんで、昨年はさぞ儲けいるんだろうと、にらん だある人からとんだ言いがかりで裁判沙汰を起こされた。
人によっては無料だし、低額だし。
文字通りの無料低額宿泊所だけれど、入所者からしてみれば、我が家なんだから。
貧困がビジネスなんかにならないよっての。

 もう一つ、昨年頭に来たのが、ロヒンギャの青年が入管からミャンマーへ帰れと脅されているのを真に受けて、「ミ ャンマーに帰った友達が殺されている、怖い。」と悩んだ末、偽造パスポートでほかの国へ出国したらしい。
出国すれば、保証金30万円は保証人の私に返ると思ったのだろう。
ミャンマー以外に渡航することを逃亡とみなされることを彼はしらなかった。

 以上の理由で保証金30万円は返せません。
──という通知が来た。
本人に持たせてやるつもりでいたから、その30万が惜しいわけじゃない。
なんで入管にくれてやるんだー、貴重な金を。
私の半年分の収入だ。
てめえらがミャンマーに帰れとしつこく言うからだろう。

 頭に来ることも一緒に年を越した。
今年もどんな年になることだか。



◇犬のチョウちゃん、いなくなった! 2016/9/26(月)

potarakanoinu  私がいわきの山奥に来ている時に限って何かがある。
朝も早くからぽたらかから電話があった。
「チョウちゃんが散歩中に首輪をはずして、いなくなった。どうしましょう。」
「どうしましょうったって、私がどうすることもできないよ。疲れたら帰ってくるよ。たぶん、ほかの犬に吠えられ てパニックになってるんじゃないの。前もさっさと帰ってきたじゃん。」で、ぽたらかのじいちゃんから、スタッフ から、2階の外人さんたちから、みんなで手分けをして探していたらしい。

 1時間たって、電話をかけてみたらぽたらかにはだれもいない。
スタッフの携帯にかけたら「いまみんなでさがしているところです。どうしよう、車で連れ去らわれていたら…。」と 、おろおろ。
「で、ついでなんですけれど。Tさんが夕べからいなくなっていて、四ツ木交番で保護されていて迎えに行きました。 なんでも橋の下で心臓発作が出てうずくまっているところを通行人から通報があったらしいです。」…人間はついでか よ。

 私も心の中ではチョウちゃん>息子>ぽたらかの連中だと、つくづく感じた。
なにしろ、福島のセンターへもらいにいって連れてきてからというもの、私たちを命の恩人だと思って恩義を感じてい るらしいから、かわいい。
『私はここで役に立つためにはなにをすればよいのかしら。』と自分なりに考えて、お客さんがくれば、お愛想する、 ネズミをつかまえる。
じいちゃんがベッドから落ちると夜勤を起こしにくる。
触りたいけれど手が届かないじいちゃんの元へ頭を持っていく。
チョウちゃんの爪の垢を薬局で売りたいくらい。
本当に飲ませてやりたい人間の多いことか。

 もう、チョウちゃんが帰ってこなかったら、何もかも捨てて日本を脱出しようと決心したところだった。
「チョウちゃんが帰ってきました。」安心して気が抜けた。
ぽたらかのみんなも、らしい。
もはや、チョウちゃんはペットではない。
ぽたらかで一番有能なスタッフであり、仲間だ。



◇Hさん再々失踪から再々再々帰寮! 2016/8/20(土)

 昨日食材買い出しから帰っていたら、見覚えある後ろ姿。
傘を杖代わりにしてふらふらと歩いているHさん発見!
「どうしたの?どこいくの?」
「あ、あそこはひでえところだ。やっと抜け出してきた。」
「知ってるよ。で、ぽたらか帰るの?」

 Hさんが数十回目の失踪をしたのが、2か月前。
墨田区のワーカーから「Hさん、住所を台東区に移しています。保護も廃止するといってきていますが、本人の意志な ので認めざるを得ません。」と知らせがあって吃驚した。

 まあ、なにか頭にくることがあったのかもしれない。
一晩公園で寝て頭を冷やそうと、思ったのかもしれないが。
付いていく方もどうかと思うが、生活保護を受けて部屋もある、別にホームレスじゃないおっさんをなぜ他区に連れて 行くの?
彼を連れて帰って墨田区の生活保護を廃止させ、住所を移転して台東区で生活保護を受けさせたのは、山谷のアルコー ル中毒の自助グループを引き継いだフリーダムというNPOらしい。

 Hさんはすぐ台東区役所に連れて行って、台東区の保護で墨田区に住んでいたアパートに戻るように図らってもら った。
Hさんが飼っていたインコもロビンソンが大事に育て、きれいにして返してくれた。
「いつでも何度でも誰かが、こうやって後始末をしてくれると思ってるんだろ。結局甘えてんだね。今度こそ、または ないからな!」
彼も72歳。
しかし、あとまた何回か、同じことやるな。



◇孤独死 2016/7/30(土)

 ぽたらかの共同墓地が完成した。
15年前、仲間の元ホームレス男性がアパートで孤独死をした。
監察医務院で検死され、東京福祉会に運ばれたと聞き、せめて線香の一本でもと思い、仲間と千駄木にある斎場へ行っ たことがある。

 保冷室から霊安室に移され案内されるとき、係員が「私たちは慣れていますけど、この夏場で死後一か月で発見され たご遺体ですが、よろしいんですか?」その言葉に一緒にいた仲間は「うへえー。」といって逃げてしまった。 仕方なく私が一人で行って、棺の蓋を開け血脈を遺体の上に置いてきた。
後で、みんなが「どうだった?」と聞くので「どうってこたあないよ。ただ、しばらくカレーが食えないかな。」と答 えてやったら「げえー。」とみんなげっそりしていた。

 その時、私は係員に「このご遺体はどこで荼毘にふされるんですか?」と聞くと、「ここです。」という。
火葬場があるようには見えない町中の小さな斎場なので「え?ここですか?」と驚いていると「はい、ペットの火葬用 の窯があるので。」と答えた。
ペット?どういう人がペット用の火葬場で焼かれるんだろう。
身寄りがない孤独死の遺体か。
焼かれた上、共同納骨堂にその遺骨はバサッと何万柱もの今までの遺骨の上にぶちまけられ、そのまま。
誰も手を合わせることもない。

 その時の思いから、こういうみじめな終わり方をする人に少しでも寄り添いたいと助葬事業を始めることとなった。 それから十五年、やっと念願の共同墓地が完成した。
骨壺から出して砕骨して一人ひとり巾着袋に入れてその人なりの人生を反映した戒名をつけて納骨する。

 ぽたらかで葬儀した人は25人だが、引き取られないご遺骨が20人。

 「ああこの人は病院から最後はぽたらかでと望んで、今日帰るという朝、息を引き取ったんだな。目を開けて吃驚し た顔のままで。私がぽたらかに帰ろって顔を両手で包んでやると目を閉じ口角を上げた顔になって、看護士さん吃驚し てたな。」

 みんな、思い出がある。
これからも入っていく人もあるだろう。
やっと落ち着く先ができて、墓の中じゃ賑やかに思い出話に花を咲かしていることだろう。



◇隅田川のドザエモン 2015/9

荒川土手にて  Oさん親子がぽたらかに来たのは平成21年の12月だった。80歳を超えるお母さんと橋の下で生活をしていた。お母 さんは女子寮に、50歳前半のOさんは男子寮と分けて住んでいたが、お母さんの子離れが出来ず、ハンガーストライ キをしてまで『一緒に住みたい!』と駄々をこねるので、仕方なく二人を男子寮の個室に住まわせた。

 まもなく同僚の寮生から、彼がお母さんに暴力を働いている、という証言があり、夏の暑い日にお母さんが熱中症 で倒れた(部屋にはエアコンがあるが、彼が使わせなかった)のを機会にお母さんを老人施設に入所させた。その後、 お母さんは老衰で亡くなる。

 彼も熱中症で倒れて入院した。その時、真冬の格好をしていて、着ているものは何年も着替えたことがないようで、 彼は典型的な統合失調症の様相を呈していた。私はぽたらかに連れて帰り、有無を言わさず、風呂に入れ着替えさせ た。
しばらくは穏やかに過ごしていたが、往診に来る精神科の先生が変わって、女の先生になるという知らせを受けてか ら彼の態度が変わった。ある日、普通に散歩に行く感じで寮を出てから、帰ってこなくなった。

 そして、失踪から1か月、保護が停止されてから、警察から電話があった。「Oさんという男性を知っていますか? 」なんと、隅田川に飛び込んで水死体であがったというのだ。
事件性がないので迎えに来てほしい。というので、軽トラックで迎えに行って荷台に乗せて帰った。生活保護費がで たばかりだったが、所持金はなかった。その代わり、財布には大事そうに折りたためられた領収書があった。
場所は元吉原あたりの、いかにも昭和チックなソープランド風の店の名前、金3万5千円也…。「コノヤロー、がん ばったな♪」
どおりで、ドザエモンの割にはきれいで晴れやかで満足しきった顔をしている。彼には一度だけ結婚したいと思った 女性がいて、母親が反対して叶わなかったと聞いたことがある。それからずっと、この道はどこまで続くのであろう か…『道程』である。
だから、女のお医者さんがくるのがいやだったんだ。でも、最後に思いを果たしてさっぱりして、よかったね。

 Oさんの葬式代は生活保護が停止されてから後だったので、葬祭扶助費がでない。でも、お母さんの年金が残って いることがわかり、結局、最後の最後までお母さんのおかげで無事葬儀を済ますことができた。

 なお、これは余談だが、警察に運び込まれた死体はシートにくるまれている。裸だったり、腐乱してたり、中には ばらばらの遺体だってあるだろう。そのシートは警察の備品なので返さなくてはいけない。といっても、使用済みの ものは返されても困るので、つまりは現金のお志をだせという。元はといえば、国民の税金だろうが。領収書をとら ないそーいうのは、どこにいくの?私は、Oさんを包んでいた体液付きのシートを返してきた。「あの、現金のほう は…。」の声には気が付かぬふりをして。



◇今年もあと僅か360日  2014/1/14(火)

 社会貢献だとか奉仕のつもりはない。目の前に立ちふさがった困難事例にどうしたらいいだろうと悪戦苦闘してあっ という間に12年。
たとえ一宿一飯でもうちに来た人は今まで302人に及ぶ(もとい一泊は記録していない)。身元保証人になっている 難民申請者の数4人(これ以上は入管側から受け付けてもらえない)養子縁組1人。松戸では多いときには20人の難 民たちの生活の世話をした。

 まだこれからも続けていかなくてはいけない。振り返ることもないし、将来を案ずることもないが、いつまでも還暦 を迎えたこの婆だけというのもどうかなと思うこのごろである。
人の心の外に神仏はない、偶像に神仏は宿らない。しかし、30年風呂に入らないぼろきれのような人の中に私は仏を 見出すことがある。そういう楽しみがあるといっても「それならお手伝いしたい!」って人は現れるわけないか。



◇無政府主義者高田良幻  2013/1/21(月)

 なんて言ってもだれも知るわけないか。時宗の全寮制の学校にいた時に私の師僧、高田良幻は24歳で寮の幹事をして いて、入営する学友の送別会の送辞に「仏徒である我々が人殺しの兵士になれようか。しかし、それを拒否すれば当然 刑罰を受ける。願わくは仏徒として常に非戦不殺生を脳裏に銘じてもらいたい。」と言っておくりだした。

 しかしその後、親友が2人までも兵役を拒否して兵舎で自殺を図ったのである。仏徒として自殺は戒められている。 でもそれより、殺すこと、人を使って殺すこと、殺されることを止めなかったことも同じ罪である。
和尚さんがそのことを知らずに自殺した親友に宛てた手紙が官憲の知れることとなり、不敬罪として巣鴨で2年間の 服役。その後甲府の師僧の寺へ預かりの身となったが、甲府連隊に反戦ビラを配ろうとして密告され、また1年間の 服役。
以後、若狭小浜の貧乏寺の住職になってからも檀家の出兵には「頼むから空に向けて鉄砲を撃ってくれ、そしてあなた はどんなみっともないことをしても生きて帰ってくれ。」というんでアカ坊主と罵られた。それでも貧しい人にはお金 ではなく野菜の布施をありがたくうけとって慕われたという。

 昭和天皇が亡くなる前に反戦集会に参加した。そこでは誰も師僧のことなんか見向きもしないんで、私が師僧を紹介 し、体験者の声も聞いたらどうですかと発言を促したら和尚さんは「天皇一人に責任があるんじゃありません。あの時 代を生きていた私達、いえこの私こそ、戦争を止められなかった責任があるんです。」と腹の底から搾り出すように言 い放った時、会場は静まり返った。

 今再び、平和憲法の根幹が揺るがされようとしている。ドンキホーテのように大きな流れに逆らおうとしていた名も 無き市民がいたことも忘れないで欲しい。1月23日は和尚さんの20年忌命日である。享年99歳。



◇沈みながらいかにして酒を飲めるか  2012/4/28(土)

 「私は業が深いんです。どうしたらいいでしょう?」とよく相談されるんだけれど、なんとも答えようがない。ご先 祖様の供養がたりないのかなんて聞かれたら、「可愛い子孫に供養の仕方が悪いなんてぐらいでバチを与えるようじゃ ろくな先祖じゃないでしょ。ほっときなさいよ。因果応報なんて少なくとも仏教の考え方じゃありませんしね。」と最 低限度の忠告をしておくようにする。

 社会的活動しているプロテスタント系は多いが入信しなければ助けないという点ではちゃんとしている。溺れている 人に手を伸ばすんだけれど、自分たちのセクトに入信しないとなれば、手を引っ込めるらしい。
むしろ、被災地での現場で意気投合しあうのは、カトリック系の方が多い。信者数を増やすことより、哲学的に深いも のがあるからであろう。かくいう私は今でも仏教徒ではあるけれど、それは肝の据え方の問題である。

 選ばれた民こそが、生き残れると入信を勧める人たちがくる。
日本が沈没したって、「だから、生き残りたくはないっていってるでしょ!」若い人たちのために日本を美しいままで 残してあげようと最後まで努力はするけれど、私たちは私たちで津波が襲ってきたら、じいちゃんたちと酒一升瓶くわ えてぐい呑みするんでい。だって、酒酌み交わせないもんねえ。沈んじゃって。



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ぽたらかとは古代インドの言葉で現実の理想国土という意味です
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